W杯でゴミ拾いを賞賛された日本人:ゴミを拾うことが美談なのか?

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今年のW杯でも,現地で応援に駆けつけたサポータのみなさんがスタジアムのゴミ拾いをして賞賛された.オリンピックのときもあったかもしれないが,もちろん素晴らしい行為である.

一方で,日常に目を向けてみると・・・

残念ながら道端にはいろんなゴミが落ちている.使い捨てマスク,お菓子の袋,タバコの吸い殻などだ.時には空き缶やコンビニ弁当の容器まで見かける時もある.

他の国に比べるとマシな方かもしれないが,結構なゴミの量だ.

「それじゃ,お前はちゃんとそのゴミを拾うのか?」

と問われると,ごめんなさい.実は無視して歩いて行きます.

なぜか?

ゴミを拾っても,捨てるところがないからだ.

昔は公園に必ずゴミ箱があったけど,今や街中で公衆のゴミ箱を探すことは,喫煙所を探す以上に難しい.

なので,もしゴミを拾っても捨てるところがなく,そのゴミをずーっと持ち歩かないといけない.一度手にとってしまうと今度は自分の責任になるので,その辺に捨てるわけにもいかない.

(ゴミステーションにそっと捨てようとしたら,見つかってかなり叱られたこともあります.地域性があるかもしれないけど,そういうことはしない方が賢明です)

最初からゴミ拾いが目的で,ゴミ袋を用意している時は別として・・・

普段の生活で私はゴミを見つけても拾わない.

いや,拾えないのだ.

ゴミを拾うことは美談なのか?

公衆にゴミ箱がないという問題は置いておくとして・・・

改めてゴミ拾いという行為そのものを考えると違和感を感じた.そもそもゴミを出す人間がいるからゴミが出てくる.自然発生したものではない.

なので,道端にあるゴミは捨てた人の責任であり,少なくとも,拾わなかった人の責任ではない.

W杯の現地サポータの方々は,自分達で出したゴミだから,自分達の責任としてゴミを拾ったのだろう(ついでに他国のゴミを拾うこともあるかもしれないが,基本は自分達のゴミを拾ったわけだ).

飲み終わったジュースの空き缶は自分の責任できちんとゴミ箱に捨てる.食べ終わった後のコンビニ弁当のカラも自分の責任できちんとゴミ箱に捨てる.考えてみれば当たり前の行為のはずだ.

W杯という場なので特別目立つから賞賛されるのかもしれないが,日常であれば美談でもなんでもない

誤解しないように改めて言うけど,彼らの行動を批判しているのではない.ただ,賞賛され過ぎて違和感を感じるのも確かだ.さらに,ネットニュースなどでは,そのような報道に対するコメントとして,

  • おれたち日本人はマナーがいいんだよ!
  • 日本の街はゴミ一つ落ちてない!

などと少々加熱気味な投稿を見かける.そんな高揚感に浸るのはどうかなと思う.むしろ,そんなとき,

当たり前のことを当たり前にしただけ

とクールに切り返せる日本人になれたら素晴らしい.

そして,当たり前のことだからこそ,場所を問わず自らを誇ることもなく,賞賛されてもされなくても淡々と当たり前の行動ができる人がもっと増えてほしいものだ.

帰宅途中,道路に落ちているゴミを見てそう思った.

さて・・・

明日からゴミ拾いのためのビニール袋をいつも持ち歩くとするかな.

ワタクシは美談がほしい(←コラw)