「スタンド・バイ・ミー」今さらだけど視聴した感想

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映画「スタンド・バイ・ミー」をAmazon Primeで視聴した.

実はまともに観るのは初めて.以前,ビデオレンタルで借りたこともあったし,テレビで放映されたのを観たこともあるけど,いつも途中で寝落ちしちゃった😅

で,今回まともに最後まで観た感想を述べてみたい.

先ずは一視聴者としての感想

解説では,小冒険を通して子供から大人への成長を描いていると言うが,ホントに成長したんかいな?と私は思った.

また,冒険という割にはごく日常の範囲を超えるような出来事はない.

確かに家庭環境に問題のある子供たちばかりなので,感情移入しやすい設定ではあるけど・・・

日本で生まれ育って,普通に無難な少年時代を過ごした私にとって

アメリカの社会背景もわからないし,アメリカの子供たちの普通の姿を知らない私としてはどうもピンと来なかった.

ただアナロジーとしてなるほどと思ったのは,ある視聴者の感想だ.

人は生まれたときから死に向かって進んでいる」という聖書の引用のようなセリフがあるけど,それは死体探しの旅に出かけた彼らの小冒険そのものを表しているということだ.なるほど.確かに,

肝試しと言って汽車が来ても線路の上から避けようとしなかったり,

橋の上で汽車に轢かれそうになって走って逃げたり,

近道しようとして線路を逸脱して沼地を抜けようとしたり

人生のレールに沿いながらも,時には反発したり,時には逃げたり,時には危険な目にもあったりする.そして,レールから逸脱することも試みる.

このような思春期を表現するような隠喩がストーリー全体に効果的に散りばめられているのは確かだ.

気だるい空気の中みんな自宅へ帰り小冒険は終了する.それから後日談が語られるという終わり方だ.

ただ,仲間4人のうち2人とは顔を合わせる程度の関係になって疎遠になる.この辺はとてもリアルだと思う.

あの時のような友情は子供のときだけであるというセリフが最後にあったが,時代や国が違ってもそれは同じなんだなと共感した.

だけど,ストーリー的に考えて

ワクワクドキドキする場面もないし,ハラハラもしない.特別感動するような終わり方でもない.普通のどこにでもある話のように思える.原作者のスティーブン・キング自身も普通の物語だと評したらしいが,私もそんな気がする.

なんでこれほどまでに評価されるのか,正直私にはよく分からない.

ダメとは思わないが,面白いかと言われると,あまり面白くない.

原作を読むとまた違った感想を抱くのかもしれないけどね.

「必然」:一読者という視点を変えてみる

ここで,この話を作る立場だったと仮定して,「なぜこのような登場人物,このような背景,このような終わり方をしたのか?」など,この話を作る上での「必然」は何だったのかという考察をしたいと思う.

このような考察をすることで,自分自身が何か小説を書く際の参考になるのかなと思ってます.

先ず,私がスタンド・バイ・ミーを観て,1番の屋台骨にあるのは「線路」だと思う.

先ほどの感想でも述べたけど,線路はおそらく死に向かう人生そのものの隠喩かなと.しかも,レールなので進むべき方向が制限されている.基本,そこから逸脱しないで進むという前提が目に見える.

そのレールとは大人たちが勝手に作った偏見であったり,圧力であったりするんだろう.

同じ小冒険であっても,これがもし「道路」だったら?

と考えると,一気に話は魅力を失うように思える.なぜなら,道路だと進行方向に対する自由度が高すぎるから.

なので,狭い社会で大人たちに抑圧された子供たち.その彼らが死に向かって進む人生において,ちょっとした反抗を試みる.そんなメッセージをストーリーに入れるには,「死体を探す」という目的と,その目的のために「線路」を辿って行くという背景が不可欠なのかなと.

だから,「死体を探す」という目的も最初はピンとこなかったけど,こういう必然があったのかなと思う.

そして,もう一つはクライマックスの描き方だ.

目的は死体を見つける事だから,見つけたらそれで成就する.でも,そこでジ・エンドとなればそれこそ何の面白みもない話にしかならない.

最後に街の歳上のチンピラどもに絡まれ,死体を渡すように言われる.

拳銃を手にし,臆する事なく対決したのは,自分達はお前たちのようには絶対ならないという決意を表す.つまり,チンピラどもは自分たちの近未来の姿の隠喩だったのかもしれない.

つまり,

  • 死体を探し行くという行為は,自分たちのこれからの人生を表す
  • 線路沿いを歩くことは,社会や大人たちの偏見や抑圧に逆らえない不自由さを表す
  • 地元の歳上のチンピラたちと最後に対決するのは,自分達の近未来の姿への決別を表す

この3つの屋台骨があるように思える.なので,「死体探し」「線路」「地元のチンピラとの対決」はどれも必須の要素で,どれか1つ欠けても成り立たないストーリーではないかと思う.

逆に言えば,この3つの屋台骨を建てることで,この話の根幹は出来上がるのかなと思った.

一読者としての視点ではなく,創作すると仮定して分析するのも面白い.

もちろん私の勝手な解釈ですが(苦笑)