11. 博士取得,道半ばで急転

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私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.

以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.

全体ページはこちらです↓

11. 急転

社会人博士課程の2回目の予備審査も「不可」となった私は,自分でもどうしていいか分からなくなった.主査の教授と私との関係もギクシャクし始めた.

結論として,社会人博士課程がダメだったとすれば,残された手段はもう論文博士しかない.だけど,論文博士はフルペーパー3編が申請者に課せられた条件だ.

何年かかっても1編すら書けなかったのに,それを3編も書かないと土俵すら立たせてもらえない.気が遠くなるような思いだった.

そんな中,職場でも同世代の同僚たちが次々と重要な仕事を任されるようになり,昇進していったが,私は学位がないので置いてけぼりになった.後輩たちも私より先に昇進していった.

しかし,それは周囲の温情でもあった.

業務負荷が高くなると博士研究に支障が出てくる.だから,せめて学位を取得するまでは出来るだけ仕事を軽くしてやろうと配慮してくれていた.同僚にはとても感謝しているが,申し訳なく思った.

また,私の給料もほぼ頭打ちになっていた.年齢相応に昇進しないと給料は頭打ちになってくる.このまま昇進できなかったら,一家を養うだけの収入には到底至らない.

ただでさえ,社会人博士課程の3年分の授業料や入学金などで,今まで膨大な出費をしている.妻に対しても申し訳なく思った.

家族や同僚にこれだけ心配をかけて,自分は本当にダメなやつだと思った.

研究はこれからどうすればいいのだろうか?

次第に主査の教授とのやりとりも少なくなっていた.先生も退職が近づいていて,このままだと最後に残された論文博士の道も絶望的な状況になるのは目に見えていた.

そんな状況の中,ある日の夜自宅の電話が鳴った.

電話をかけてきたのは,私の学生時代の指導教官だった助教授の先生だった.この時は別の大学の教授になって栄転していたのだが,しばらく音信が途絶えていた.

その先生から,主査の教授の先生が急逝されたことを知らされた.

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