18. 博士論文の予備審査:三度味わうには人生は短すぎる

シェアする

私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.

以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.

全体のページはこちら↓

18. 三度味わうには人生は短すぎる

2人目の主査の先生が定年退職するまでに,3編目の査読結果が間に合わなかった.だけど,主査の先生はそのような事態も想定して,准教授の先生にも私の論文指導に入っていただくようかなり早い段階からお願いしていた.

そして准教授の先生は,この先生の後任の教授として昇進し,私の主査になっていただけた.私にとって3人目の主査である.スケジュールは当初より3ヶ月遅れで申請することになったが順調だった.

「条件は揃っているので何も心配はない」

と新しい主査の先生は仰った.フルペーパーの3編中2編は英語だったので,博士論文も英語で書くことにした.タイトル案を相談したが,最初の第一案で「これでいいでしょう」と言っていただいき,すんなり決まった.

この3人目の主査になっていただいた先生は,私が修士課程の学生の時に別の研究室の助手だった.主査ではあるけど,私と歳がそれほど離れていない.兄貴分のような親しみを感じていた.そこのところは1人目や2人目の主査の先生とは違った.

そして予備審査を迎えたが,以前「不可」となった時の副査の先生方はすでに退職したり移籍したりして随分入れ替わっており,若い先生方が多かった.教授陣も明らかに世代交代をしていた随分年月が経ったものだ.

予備審査では色々指摘を受けたが,以前のように「可」か「不可」かという審査ではなく,「どこを直したらいいか?」「どこの主張を強化したらいいか?」という本審査の発表練習のような様相だった.

前回や前々回の予備審査と全然雰囲気が違うので正直驚いた.もちろん,副査の顔ぶれが大きく入れ替わったのもあるけど,それ以上に条件を満たしているかどうかが重要なのだと痛感した.

予備審査は問題なく通過し,本審査を受けることになった.まさに「3度目の正直」だった.日本広しといえども,人生で3回も博士論文の予備審査を受けたバカはそう多くないだろう.自慢にもならないが.

このとき年齢は41歳になっていた.私の半生は学位取得のために費やされたといっていい.優秀な研究者からすると,学位ごときに何と無駄な時間を過ごしたものかと笑われるかもしれないが,これが私の実力だったので仕方ない.

「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある」

などと元財務官僚で弁護士の山口真由が言ってる.適切な方法論に則って努力すれば誰でも天才になれるような言い方だが,より正確に言うと,彼女のような天才だからこそ適切な方法論にいち早く気づく.だから努力を開始した時点ですでにゴール直前にいる

私はその方法論を見つける段階で右往左往して無駄な努力を続けてきた.その結果,気が付いたら10年以上経っていた.凡才にとって人生は短すぎる.

続きはこちらです↓

【博士取得までの紆余曲折の半生記】のトップページに戻る