私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.
以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.
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19. 本審査
同僚から事前に言われたのは,最も重要なのは予備審査であって,それさえ通れば本審査は形式的でお祭りのようものだ,ということだ.もちろん,それは大学よっても異なるだろう.
私はそんな話を聞いていたので,本審査をかなりリラックスして迎えることが出来た.だけど,実際の本審査は結構きちんとした審査で(先生方にとっては形式的なのかもしれないが),中には厳しい質問もあって面食らった.
だけど,この研究テーマでフルペーパー3編を通しているという自信は揺らぎなかった.焦ることなく,淡々と答えることが出来た.
本審査が終わって,別室で結果を待っていたところに主査の先生がやってきて「合格」を伝えられた.
ふぅ...
これで終わった.若い頃からずっと追い続けてきた博士号をやっと取得することが出来たのである.もう感慨どころか安堵しかなかった.
大学4年のとき研究室に配属され,PowerBookで最初にプログラムを書いてから19年の歳月が過ぎていた.
20. その後
学位取得に至るまでの半生を書こうと思い立ったが,あまりにも紆余曲折が過ぎるので,この記事を読んだら私のことだと気づく人もいる.だから,これまで過去の経験について多くを語らないようにしてきたが,もうここまで書いてしまったので正直どうでもよくなっている(笑)
学位取得した研究テーマは,その後,博士論文だけに止まらずさらに深掘りして,現在はもっと学際的なテーマにシフトしてきた.学位を取得した年にこのテーマで科研費を獲得し,それ以後,現在に至るまで継続して採択されている.
自分にとって今でも心残りなのは,最初の主査になっていただいたこの恩師のことだ.私のような不肖の弟子にさぞかし手を焼いたのではないかと思う.
ひょっとして,先生が急逝された遠因が私にあったのではないかと今でも居た堪れない気持ちになることもある.せめて墓前に学位取得を報告したかったが,東京のご自宅近くにお墓があるとのこと.残念ながら私はご自宅の住所を知らない.
ただただ,心の中で手を合わせることしか私には出来ない.
職場では,学位取得後に様々な役職を担い,それなりに業務をこなしてきた.ほとんどが雑役だったけど,文句を言わずにこなした(言ったかも?笑).そして年齢相応に昇進することができた.同世代の同僚に比べ大幅に周回遅れの人生だったけど,学位取得後はいつの間にか帳尻が合った.こんな人生もあるんだなとしみじみ思う.
それなりの役職で仕事をしてきたと言っても,メインは事務仕事だから,何か突発的な問題が起きない限り平常時は誰にでもできるルーチンワークだ.だけど,それなりに達成感はある.上からも褒められるし,業績にもなる.
そうなると,そこに安住してしまって,しばらくの間研究から気持ちが離れてしまった.教授に昇進することを,人生ゲームの「あがり」に喩える人が少なからずいる.欧米の大学でもテニュアを取得したら急に研究をやらなくなる人がいるらしい.おそらく私もそのタイプだったのかもしれない.
だけど今になって冷静に考えると,私は歳をとってるけど博士を取得してまだ10年経っていない.科研費の基準で言えば「若手」なのだ.まだ隠居するには早すぎる.
これからは「今の自分より少しだけ上」を目指して研究し,雑役の業績だけでなく,少なくとも今の職責にふさわしい研究業績を残すべきだと思っている.現役の研究者という自覚をもって,論文を書き続けていきたい.
若い研究者の中に混ざって,いつまでも年長者が顔を出し続けるのはみっともないものだ.だけど,少なくともあと10年は頑張ってみたい.
その後は・・・正直分からない.その時になったら考えるつもりだ.
私の好きなイチローの言葉、
小さなことを積み重ねることで,いつの日か信じられないような力を出せるようになってきます
この言葉を心に留めて,今後は研究をしていきたいと思う.