3. 研究者という道

私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.

以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.

目次はこちらです↓

3. 研究者という道

もう心身ともに疲れ果て,寝ても覚めてもアカハラ助手の顔が目に浮かぶ日が続いた.研究も何もやる気が起きなかった.

だけど,心神喪失で家に篭りっきりになったなどと教授や助教授の先生方に思われるのは私のプライドが許さなかった.そんなメンタルの弱い人間だと思われるくらいなら,大学を辞めた方がマシだった.

なので,体を引きづって研究室に行った.朝6:00に起きて,近くのコンビニでおにぎりとパンを買って,そのまま研究室に行った.6:30にはもう研究を始めた.

なぜそのような早い時間に研究室に行くようになったのか?

助手が昼近くになって眠そうな顔をしてやってくるからだ.出来るだけ彼との接触を避けたかったのだが,そのために一番良い方法は早朝から研究室に行くことであった.この時の早起きが,私の今の朝活の原点だったのだから皮肉なものである.

そして彼が昼頃に姿を現したら,それを合図に研究室を出て,昼飯を食いに学食へ行った.食べ終わった後も喫煙所でタバコを吸ったり,図書館に行ったりしてぶらぶら時間を過ごした.

そして,3時くらいに戻って研究を再開する.

授業やゼミがあったときは少し違ったが,概ねそれが1日のスケジュールだった.そして5時になったらさっさと帰った.ヤツと接触するのは1日2時間.それでも長いくらいだった.

助手は常に学生のPCのスクリーンを後ろから監視するのが常だった.

メールの返信を書いていると,「何遊んでるんだ!」と後ろから椅子を蹴られた.そのくせ,めんこの学生はソリテアをやっていても何も言われなかった.

そもそも,彼自身がプレイステーションを持ち込んでゲームをしていたのだから,自分を棚上げするにも程がある.

生活もだらしなく,彼の机の周りは書類の山だけでなく,食べ残しの生ゴミも溢れかえっていた.禁煙だった研究室でも平気でタバコを吸っていた.研究室は次第に生ゴミとタバコが混ざった異臭を放つようになった

私が5時に帰ることに関して何も言われなかったが,それには理由がある.教授が,

「9:00から17:00までは研究室にいるように」

と明言していたからだ.それにもかかわらず,彼はいつも寝坊して昼近くに学校にやってきた.その後ろめたさがあるから,私が5時ぴったりに帰っても何も言えなかったのである.

彼に目をつけられていた後輩たちは,いつも顔色を窺って行動しているのがわかった.もちろん,私もそうだった.

ちょうど運悪く,校舎の立て直しの時期と重なったので,研究室は臨時に作られたところにあり,教授室とかなり離れていた.たまには教授も研究室に顔を出すことがあるけど,そのような内情はほとんど知らなかったに違いない.

ただ,そのような雰囲気は噂として広がり,教授の耳にも入ったようだ.研究室の内情がどうなっているのか,私は教授に何度か呼び出されて事情聴取された.

だけど,彼の素行を伝えたところで,「そんなの気にするな」で済まされるだろう.それが分かっていたから,特に何も言わなかった.

だってそうでしょ?

あいつとあいつは彼のめんこだ
めんこの学生は何をやっても怒られない

そんなこと言えると思いますか?「殺すぞ」と恫喝されたことは伝えても良かったかもしれないが,当時は職場や学校のハラスメントがそれほど問題視されなかった時代だ.

言っても無駄,私はそう思っていた.

なかなか話そうとしない私に対して,教授は少し困り顔だった.教授も研究室の悪い噂が広がっていくのを放置するわけにはいかなかったのだろう.今後,優秀な学生に敬遠されちゃうからね.

そんな環境の中,博士後期課程に進学しあと3年間も過ごすなど耐えられなかった.

私は研究者の道を諦めた

修士課程1年の終わり,ちょうど2月くらいであった.

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