5. 修士が目指すべき道とは?

シェアする

私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.

以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.

目次はこちらです↓

5. 修士が目指すべき道とは?

霞ヶ関
修士2年の6月末,国家公務員 I 種試験の1次合格の通知が届いた.

今はどうなのか分からないが,当時は1次合格時点で霞ヶ関の官庁街を訪問して内々定を貰っておかないと,せっかく2次試験を合格してもどこにも採用されない可能性があった.

案外知られていないらしいが,国家公務員試験は公務員になる「資格」を得るための試験であって,合格しても採用を約束されるものではない(特に I 種や II 種の場合)

まだ合格も決まっておらず,2次試験すら受験していない段階で霞ヶ関の官庁に次々と電話をしてアポをとり,炎天下の中,各省庁へ行って高級官僚たちと面談し続けるのは精神的にかなりキツかった.さらに,応対してくれた官僚の中には,

「今頃何しに来たのだ?」

と露骨に嫌味を言う人もいた.なぜなら,人気の官庁は1次試験合格発表前に訪問するのが彼らの常識らしく,1次合格が決まってから動くのでは遅かったのである.だけど,そんな話など知る由もない.実際に霞ヶ関に来て,他の学生から聞いて初めて知った.

それに,私のような地方の大学生にとっては旅費も滞在費もかかる.そう易々と何度も東京に来れるわけがない.

霞ヶ関の慣習の理不尽さに憤りながらも,これが高級官僚として働こうとする人間に対する最初の「洗礼」なのだと妙な納得をした.

今でもはっきりと覚えている出来事がある.

警察庁に訪問した時のことだ.アポは9:30だったが早めに行動したので,9:00頃には着いた.さすがに早すぎるけど,霞ヶ関にはカフェもないし公園のベンチすらない(今はスタバやタリーズもあるらしいが…).殺風景なビルが立ち並ぶだけの場所なので,時間まで暇つぶしするような場所がない.

とはいえ,炎天下の中,黙って外で待ち続けるのはどう考えても目立ちすぎる.

それで,とりあえず建物の中に入ってロビーで待機し,10分前くらいになったら行こうと思った.通産省や科技庁もロビーで待つことが出来たので,警察庁にもそのような場所があると思ったのである.

どこの省庁でもそうだが,部外者(= 職員証をぶら下げていない人)は入口で警備員に呼び止められ,要件を聞かれる.警察庁でも入口で呼び止められたので,官庁訪問だと告げて学生証を見せたらすんなり入れてくれた.

問題はその後だった.

その警備員はその場ですぐ電話をかけて,

「○○○さん(=私)がお見えになりました」

と私がアポをとった部署に電話をしてしまった.あっという間の出来事.アポの時間までまだ30分ある.なんか嫌な予感がするなぁと思ったけど,取り継がれてしまったので行かないわけにいかない.

行くと,とても不機嫌そうな顔をした警察官僚が出てきて,アンケート用紙を無言で渡された.そして,9:30ぴったりに面談が始まった時,開口一番言われたのは

「約束は9:30だっただろ?お前は我々の仕事を妨害しにきたのか?」

そんな怒られ方をするほどの失態とも思えないが,気が動転して事情を説明する暇がなかった.ただ平謝りだった.最悪の雰囲気の中,どんな質問をしてもまともな回答をもらえず,内々定などとても無理なのは明白だった.

それでも,まだ相手をしてくれただけ良かった.他の省庁では,さんざん待たされて結局,

「今日は担当者が都合悪いので,何かありましたらこちらから電話します」

という断り方をされた.都合が悪いというけど,それなら一体何のためのアポなんだろうと思ったが仕方ない.手ぶらで帰るしかなかった.

事前アポをしたところは総スカンだったので焦った.事前アポをしてなかった他の官庁のアポを取ることにした.たまたま近くに特許庁の建物があったので中に入り,ロビーにある公衆電話から他の省庁のアポをとることにした.

当時は携帯電話はごく一部の学生しか持っていなかったし,私も持っていなかった(東京では事情が違ったかもしれないが).公衆電話から,先ずは今いる特許庁にアポをとる電話をした.

職員「今どこにいるんですか?東京ですか?」
私「特許庁のロビーにいます」
職員「あ,それならすぐ来てください」

エレベータに乗り指定された階に行った.職員に官庁訪問だと告げると少々お待ちくださいということでしばし待った.

ところが中の様子が少しざわつき始めた.ん?なんだ?と思ったら,中から別の人がやってきて,かなり立腹した様子で,

職員「あなた,アポとってないでしょう?いきなりやってくるなんて,非常識じゃないですか?」

え?何だって? アポとろうと電話したら,すぐ来てくださいと言われたから来たんです!

とすぐ答えれば良かったんだけど,なぜ怒られたのか理解できず,気が動転して反射的に謝ってしまのだが,それがダメだった.こちらが一方的に悪い方向で話が進んでいってしまった.

どういうわけか,どこへ行ってもこんな調子で誤解やすれ違いが頻発したので,ひょっとして霞ヶ関とは縁がないのかも?と思い始めていた.

こんな省庁を名指し批判するようなことを書いていいのかと思われるかもしれないが,私が官庁訪問をしたのはかなり前.もう20年以上も昔の話である.

今は国家公務員試験の試験制度自体が変わったらしいし,それに伴って官庁訪問自体も見直されているらしい.だから,警察庁,特許庁だけでなく,当時はどこの省庁もそういうところだったという「昔話」として受け止めてもらえばと思う.

10日間ほど東京に滞在する予定だったが,官庁訪問は容易ではなかった.アポの入っていない日は,宿泊していたホテルの近くにあった渋谷区図書館で2次試験の勉強をしたり,気晴らしに映画館に行ったりした.

ちょうどスターウォーズ・エピソード V のリメイク版が公開されていた.ジャバ・ザ・ハットのCG合成映像をみたとき,ふと

「おれ,こんなところまで来て何をやってるんだろう…」

と思って途方に暮れた.10日間も東京に宿泊するために親にお金を借りたが,申し訳ない気持ちと自分の不甲斐なさで打ちひしがれた.

不発続きの官庁訪問だったが,このまま何もしないで帰るわけにはいかない.どこでもいいから行けそうなところは行ってしまおうと開き直った.霞ヶ関以外の出先機関にも足を運んだ.

おそらく,その開き直りが功を奏したのだろう.つくばにある建設省(当時)の出先機関で私はかなりの手応えを得ることが出来た.

しかし,情けないことに肝腎の2次試験がまさかの不合格.すべての努力が無駄に終わった…

だけど,霞ヶ関という職場の雰囲気と独特な慣習を体験したので,今から思えばいい経験だったと思う.そして,予想だにしなかった数々の経験を通して国家 I 種への思いが途中から薄らいでいったのも確かだった.

今にして思えば,高級官僚など私が追い求めるような職ではない.もしまかり間違って採用になり,現実を見た後で辞めるくらいなら,傷の浅いうちに思いを断ち切れたので良かったのかもしれない.

I 種が不合格になって頼みの綱は II 種だけとなったが,実はこちらも苦戦した.試験そのものは最終合格し,地元の官庁の出先機関からも面接に呼ばれたが,結果はどこも不採用.II 種も I 種と同様試験に合格しても,それだけで採用を約束されるものではない.

この話を聞いて,教授はあまりいい顔をしなかった.それは不採用になったことにではなく,私が国家II種で公務員になろうとしていることに対してだ.

「国家 II 種はノンキャリ.修士を出た学生が目指す道ではない」

とおっしゃった.つまり,採用する側からするとI 種ならともかく II 種で修士を採用しても扱いづらいだけ.だから一応面接には呼ぶが,最初から採用する気はないと.

教授の言葉どおり,その後も採用先が見つからず,採用面接の案内すら来なくなった.時期はもう秋から冬になりかかっていた.

そんな就活に苦戦していた中,教授に呼び出された.

「○○○○(某民間大手)の重役から,誰か学生を紹介してくれと話が来てる.もしよければ君を紹介するけどどうだ?」

今考えれば,何と有り難い話ではないですか!その大手企業(誰でも知っている某財閥系メーカー)の重役に教授の大学時代の友人がいるという話を以前から聞いていた.

もう季節は秋,ここの会社の採用活動が終わっているのは明らかだった.今にして思えば,教授が個人的な人脈を使って,私にこの話を持ってきたとしか思えない.

だけど,私は先述の青臭い信条を曲げることが出来なかった.それで,この身に余る紹介を断ったのである.

もし入社していたら,今頃は首都圏の一等地のタワーマンションに住んでいたかもしれない.退職後は有り余るほどの退職金を得て,悠々自適な暮らしが出来たかもしれない.

本当にどこまでバカなんだか・・・

修士2年の夏から秋にかけての思い出である.

続きはこちら↓

【博士取得までの紆余曲折の半生記】のトップページに戻る