私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.
以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.
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8. 悪夢の予備審査
博士号取得までの流れでいうと,先ずは主査の判断で申請のGOサインが出るところから始まる.その後,主査1人,副査数人による「予備審査」が行われ,そこでOKとなれば,後日,正式な「本審査」となる.
本審査では主査,副査に加え,数人の審査委員がさらに加わり,承認されれば晴れて博士を取得できることになる.基本的に審査委員は教授が担当することになる.
これらのプロセスの中で,最も重要なのは予備審査だ.これが実質的な審査となる.ここが通れば本審査で覆されることはほとんどない.予備審査は申請者が最も緊張する場面である.
そして迎えた予備審査.
副査から2,3質問され,その中には本質的な問題も指摘されたが,それに関して主査の教授もフォローしてくれた.その時の質疑応答の感触からは何も問題ないと思われた.
しかし,厄介だったのは1人の副査が事情によりその時欠席していたことだ.もう定年近い先生だったが,学内でも絶大な影響力を持っている教授だった.
主査によると,欠席による委任状をもらっているので問題ないとのこと.だけど,これが私と主査の教授にとって大きな誤算だった.
後日,この副査のところへ仮製本の博士論文を持参して説明したところ,こんな答えが返ってきた.
「君はあと何年在籍するつもりなんだ?」
え?博士論文の仮製本を持参して説明しているのに,この人は何を言ってるんだ?と思った.戸惑っている私の顔をチラッとみて,静かに言った.
「こんなものを認めるわけにはいかない」
何だって? 私は自分の耳を疑った.
私の驚く表情をみながら,副査の教授が問題点を指摘した.かなり本質的な問題があったように思えて,私はどんどん青ざめた.
だけど,後年このときの私のアイデアとほとんど同じ内容の論文がヨーロッパのある有名なジャーナルで発見した.だから,私のアイデアも考え方も決してナンセンスなものではなかった.
この副査の教授が言ってることは半分言いがかりに過ぎない.だけど,自分が絶対正しいというほどの自信が持てなかったので,そこをつけ込まれたような形だ.
すっかり意気消沈して主査の教授のところへ報告に行ったが,
「それは大変だったなぁ」
という感じでまるで他人事だった.主査の反応にも私は驚いた.
主査がOKを出せば誰が何を言おうとOK.だから,副査からそのように言われたんだったら,相手が納得するまで食い下がって説明して来いと.主査の反応は,平たく言えばそういうことだった.
そして後で知ったことだが,実はコースドクターでの学位取得に「条件はない」と教授は常々言っていたが,実は「フルペーパーを原則2編」という条件が存在した.
つまり,指導教授は,申し合わせで決められた条件を無理にねじ曲げてでも,私に学位をとらせるという強硬手段に打って出たというのが真実だったようだ.
そのことには感謝するけど,もしそうであれば尚更だ.副査が異を唱えた時にその対応をすべて申請者に丸投げされても,私が出来ることなど限られている.根性論や泣き落としでどうにかなるような相手じゃない.
結局,私は単位取得退学をすることになった.人生2度目の博士後期課程退学劇である.
後年,関係者から聞いた話によると,この副査の教授は,私個人に対してではなく主査を含め私に関わった方々に対して「ある種の複雑な感情」があったようだ.
私の主査も他の教授が主査の予備審査のときは,難癖をつけてこれまで多くの申請者を困らせてきたらしい.
その仕返しをされたとは思いたくないが,教授と言っても我々と同じ人間.機械のように全く感情を挟まない対応など難しいだろう.
まぁ,裏で何があったのかはどうでもいいし,あくまで噂話に過ぎないのでこれ以上詳しく書くつもりはない.
ただ,結果として私が学位を取得できなかったのは事実である.
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