9. 博士取得の流儀:秀才たちのはざまで

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私が博士を取得するまでの紆余曲折を記事として残しておきます.

以前,別のブログで記事として書いた内容ですが,そちらのブログを閉鎖したのでこちらに移行するつもりです.一気には大変なので少しずつ移行します.

全体ページはこちらです↓

9. 秀才たちの流儀のはざまで

おそらく,主査が副査に対してあまり強く言えなかったのは,申し合わせの条件を私が満たしていなかったからではないかと思う.主査の立場からすれば,そこを突かれたら返す言葉もない.

だけど,過去にフルペーパーの業績0で学位を取得したケースもないわけではない.隣の研究室だったが,私の先輩がそうだった.

彼は物凄く頭のキレる人で,学位論文もクレイジーなほど革新的.まさに誰もやっていない学術領域を自分で開拓したような人だった.同じような研究をしているライバルは海外に1人いたくらいで国内に敵なし

だけど,なぜそのような凄い実力の人がフルペーパーの業績0なのか?

真相はわからないが,考えられるのは,

内容が革新的過ぎて論文を受け入れてくれるジャーナルがなかった,あるいは,下手な論文誌に安売りしたくなかった,どちらかだと思う.

いずれにしても,この先輩は博士後期課程を1年だけ在籍し,短縮(修士と合算して3年)で学位を取得した.

「フルペーパーを原則2編」というのは申し合わせであって規則ではない(私が申請した大学の場合).だから突出した秀才であれば,このように基準を満たさなくても取得する人が稀にいる.ただ,そうなれば当然審査も厳しくなる

聞くところによると,東大や京大は学位取得に必要な明確な基準がそもそもないらしい.

その理由は,おそらく私の先輩のような突出した秀才を東大京大では「通常レベル」として想定しているのだろう.私の主査だった教授も東大で学位を取得しているので,同じ感覚だったのかもしれない.

だけど・・・

秀才からほぼ遠い愚鈍な私に対して,先輩と同じようなレベルを求めるのは猿にプレゼンテーションさせるくらい無理難題というものだ.東大・京大に比肩するほどの研究でなければ学位を認めないというのでは,少々やりすぎではないか?

博士取得の要件があったのであれば,なぜそれを最初から言ってくれなかったのだろうか?要件を満たさなかったら,たとえ親兄弟でも学位を認めないと言ってくれた方がよっぽど納得できる話だった.

主査の先生には就職に関して多大な恩義があるし,そのことに関する感謝の気持ちは今でも薄らいではいない.だけど,学位取得に関しては納得できない点が多かった.

だけど,これで可能性が完全にゼロになったわけではなかった.私の母校だけかもしれないが,コースドクターを単位取得退学しても1年以内であればもう一度予備審査を受けられるという決まりがあった.つまり,敗者復活戦である.

首の皮一枚でつながった.

しかし,これですんなりうまくのであればいいのだが,まだまだ私の紆余曲折は続く・・・

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