Googleで検索したり,LINEでメッセージ入力するとき,Siriを使う機会が増えた.便利な世の中になったものだ.一度使ったらもう手放せない.
先日はSiriを使って口述筆記もやってみた.
口述筆記というと,音声を録音してそれを聴きながら後で文字起こしをするという作業を連想するが,Siriを使うと自動で瞬時に文字起こしをしてくれる.おそらくプロの作家でも,この便利なツールを利用している人が多いのではないだろうか.
もっとも私の場合,口述筆記と言っても大した文章ではない.このブログの記事程度の散文だ.実際やってみると,キーボードをたたくより遥かに早く文章を作ることができた.漢字変換もほぼ完璧.
だけど,口述筆記した文章を後で読んでみると,なんとも酷い日本語だったので驚いてしまった.喋っているときは,そんな自覚はなかったのだが,文字にしてみると明らかだ.
その時,ハッと気がついた.
普段会話で私が喋っている表現とか,口頭でなにか説明するような場面で私が使っている日本語は,実はかなり酷いレベルなのではないか?ということだ.
口頭の会話やスピーチは,意図して録音しない限り残らない.つまり,「話し方の癖」といったものは,自分ではあまり分からないものだ.
私は昔から口下手で,喋るのが苦手だ.
そういうコンプレックスがあるから特にそう思うのかもしれないが,自分自身の日本語レベルに,今更ながら疑問を抱くきっかけになった.
漱石の音読
明大の齋藤孝先生が,ご自身の著書で音読をすすめている.
特に漱石の文は,漢文や落語といった日本語の多くの要素が詰まっており,音読する価値が高いとのこと.「漱石は近代の日本語を作った人物」とも語っている.
そこで,先日意気込んで「草枕」を読んでみたが,私には難しく,なかなかその良さが理解できかった.
しかし,後で知ったのは,「草枕」は小説と言っても,自身の芸術論を散文的に述べた少々特殊な内容なので,漱石の面白さを味わうのであれば「坊ちゃん」「三四郎」「吾輩は猫である」の方がよいとのこと.
「草枕」が難解で退屈だったので,「漱石はこんなものか」と思ってしまったが,そう決めつけるのは早計だろう.代表作の方も(声に出して)読んでみることにする.
どういう媒体で読むか?
小説を読む際,通常は文庫本だろう.だけど,文庫本は文字が小さく最近読みづらくなってきた(つまり老眼).
また,漱石だと青空文庫でも読める.スマホアプリだと文字が大きいし読みやすい.iPadだともっと読みやすい.だけど,スマホで読むのは読書という感じがしないので,実はあまり気が進まない.
それに,子供の目に触れるところに本を置いておきたいという思いもある(密かに興味をもってくれたらなぁという期待を込めて).そう考えると,やはり文庫本かなぁ・・・
先日訪れた漱石の旧居で「こゝろ」の初版本が置いてあった.閲覧が出来たので,中を開いてみて驚いた.文字が大きい!行間も広く,とても読みやすい.
新たな発見でした.
漱石の初版本は古書でも高価だと思うが,調べたところ復刻版もあるらしい.それだと数千円で買える.
復刻版なので,当時の少々古臭く見える明朝体のフォントをあえて使用していたり,カバーのデザインも初版が出版された時のものを忠実に再現しているらしい.発売された当時の雰囲気を再現しているので,風情がある.
文字が大きく読みやすいのはもちろんだが,それだけでなく,当時の雰囲気を味わいながら読むというのも悪くないだろう.文庫本や青空文庫では味わえない魅力の1つだ.
もし復刻版ではなく,初版本だとコレクションになるかもしれない.漱石に限らず,著名な作家の初版本を集めるというのも悪くない趣味だ.
今度東京に出張した時は,久しぶりに神田の古書店を歩き回ってみたい.
そして,漱石の音読も習慣にしていきたい.私の日本語力向上のために・・・
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